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ルイス・リーキー

前回、ジェーン・グドールの事を書いたので、今回はその恩師、ルイス。リーキーのことを書きたい。 彼は1903年生まれのケニア人。アフリカにおける人類の進化の解明に多大なる貢献をした人物として知られる。 そして、晩年はジェーン・グドールをはじめとして、古人類学と霊長類学の後継者を多く育てたことで知られる。また、彼はチャールズ・ダーウィンの見解を強く支持し、人類がアフリカで進化するとしたダーウィンの仮説を証明しようと試みた。 彼の両親はイギリス出身で、ケニアに渡った宣教師だった。彼は2歳の時、父親の病気(神経衰弱)の治療のために、しばらく渡英しているし、その後再び母の病気のためにイギリスに戻り、父親のハリーはボーンマスに家を買っている。彼自身は父親同様に宣教師を目指し、父親と同じケンブリッジ大学に入学した。その後もキリスト教に没頭していたが、あるきっかけから20歳前半で化石発掘に熱中し始める。1924年、大英自然史博物館募集した化石発掘隊に応募し採用され、ウイリアム・カトラーを隊長とした一行と共に再びアフリカの土を踏む。しかし9ヶ月後に隊長カトラーが病死するとケンブリッジに呼び戻されることになる。彼はこれを機に専攻を人類学に変える。卒業する頃にはすでに考古学および古生物学の講義を行い、それなりの有名人になっていた。 彼の一人目の妻はフリーダといい、金銭面でも彼を支援したが、彼は1931年にプリシラという子供をもうけながら、当時20歳の若い絵描きメアリー・ニコルに惹かれていく。そして、1933年にもう一人の息子コリンが生まれるとすぐに、フリーダに離婚を申し入れる。その後、メアリーと再婚するも、蜜月はそう長く続かず、仕事上の見解の違いから二人は対立するようになるから、私生活では波乱に満ちた人生ということもできる。メアリーとの仲が決定的となり、彼のことを「役立たず」呼ばわりするようになる頃に、グドールたち教子に出会うわけであるから、このタイミングが与えた影響も大きかったというべきか。ちなみに「リーキーの天使」と呼ばれる三人の女性たちを彼は個人的に大きな支援をする。ジェーン・グドール、ダイアン・フォッシィ、ビルーテ・ガルディカスの三人で、それぞれチンパンジー、ゴリラ、オランウータンの研究に打ち込み、下世話な彼の援助動機に対する憶測をよそに、実際には三人とも各分野での重要な研究者と...

玄侑宗久 20200627

ひとつのことを成し遂げることもなかなか難しいのに、二足の草鞋をうまく使い分けて、しかも奢らず淡々とした姿勢を貫ける方はなかなか見ない。玄侑宗久さんはそんな一人かもしれない。1956年生まれだから、私よりも3つほど年上でいらっしゃるのだけれど、さすがに仏門に使えていらっしゃるだけあって、矍鑠としたお姿の中にも悟りを求める静かな闘志を感ずる。玄侑さんは2001年に芥川賞を受賞され、その後も王政に作家としての創作も重ねられている。同時に福島県三春町で生まれ、その地の福聚寺(ふくじゅうじ)で住職をされておられる玄侑さんは「東日本大震災」とその後の郷土をずっと憂い、そして見続けているのだと思う。それは今回のコロナウィルス禍を見つめる想いも同様だ。人は追い詰められると意識が他人の差別に向かい、コミュニケーションが不足すれば、誤解を生み人間関係もギクシャクする。新型コロナ禍はリモート。コミュニケーションという新技を生み出したけれど、果たしてそれで十分な相互理解が得られるだろうか。玄侑さんが語るように徐々に本来の人間が直に接するコミュニケーションが必要だろう。それが人間社会を維持していくためには不可欠であると思う。

ジェーン・グドールについて 20200626

昨日、チンパンジーに関するあるDVDを観た。ナショナルジオグラフィックが製作している1枚だ。 その冒頭に、「ジェーン・グドール」の若かりし頃の姿が映し出されていた。ちなみに、1934年生まれなので、現在86歳だが、まだ現役で、今年も「唐奨」という台湾で創設された「東洋のノーベル賞」と称される賞を受賞している。チンパンジーの大権威で、関連著書もたくさんある。 彼女はロンドンでビジネスマンの父と小説家の母の間に生まれた。幼い頃からの動物好きで、アフリカへ行くことを夢見て学生時代を過ごしたらしい。ただ、ケニアの友人宅で人類学の世界的権威であるルイス・リーキー博士と出会うまではオックスフォード大学で秘書をしながらアフリカ行きを目指して働くOLにすぎなかった。もちろん、イギリスのOLがアフリカ行きを夢見ることは一風変わった目標ではあったけれど、その時点で動物の研究者になるということは夢にも思わなかったに違いない。 それでも、彼女はリーキー博士に会うと、彼の薦めですぐにチンパンジーの研究を始める。尤も、その時点ではチンパンジーそのものよりもリーキー博士に魅せられていたに違いないのだけれど(笑) その後彼女は【チンパンジーが人間と同様に道具を使うこと】【草食動物であると考えられていたチンパンジーが実は雑食であること】【チンパンジーの性格に人間のように随分と個体差があること】などをリーキー博士と一緒に次々と発見し、この成果が彼女をどんどん研究に没頭させていくのである。 しかしながら、前述したように彼女はこの道で所定の正規教育を受けていなかったために他の研究者から相手にされなかった。よく話ではあるが、「権威」というものはよそ者を認めたがらない。そこで、凄いのはここからだ。リーキー博士は彼女のために特別基金を創設し、1962年にグドールをケンブリッジ大学ダーウィンカレッジへと進学させる。なんという師弟愛だ。彼女もそれにちゃんと応えた。なんと4年後にはケンブリッジ大学の動物行動学のPh.D.(Docter of Philosophy 英語圏で授与されている博士水準の学位)を取得してしまうのだ。そのあとの活躍は目覚ましく、現在ではWEBで「チンパンジー」を検索すれば、真っ先に出てくる人物の名前である。 DVDの中で見た若き彼女の目は実に輝いていた。映像はその後の彼女も映し出し、カメラはかな...

市川中車のこと 20200624

現在、「市川中車」と言えば、俳優・香川照之が九代目を襲名したことで話題にもなったが、それ以外のことを何も知らなかった。 元々それほど歌舞伎に興味のある方ではないけれど、年齢と共に日本の古典芸能の常識ぐらいは知っておきたいと思い、すこし調べてみた。これが、結構興味深い。名跡でありながらその発症や過程がとても興味深い。 初代は1700年代まで遡る。市川八百藏で、二代目市川團十郎の門人で、とても女性にモテたらしいことがこの時代の黄表紙などにも描かれているらしい。黄表紙作家・恋川春町などの文中にも「中車」の名前が見える。そのモテ男は残念なことに29歳でこの世を去っている。そして、この役者が俳名として用いたのが「中車」という名前なのである。その上、その後に続く六代目までは「市川中車」を襲名するのではなく、あくまでも拝命として使っていたのである。初めて「市川中車」を襲名した七代目は1860年生まれのひとで、七代目市川八百藏を襲名したのちに、七代目市川中車を襲名している、その後の八代目を含めてずっと「立花屋」を屋号として用いてきたし、いずれも「市川八百藏」襲名を経験しているが、九代目(香川照之)だけは、そのような襲名を経ずに「市川中車」を襲名しているし、屋号も「澤瀉屋(おもだかや)」となっている。異例づくしの襲名であったと思われる。

KAGAYAさんのこと 2020024

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河出書房新社の担当者の方から『天空への願い』という写真集のご案内をいただいた。 しかもサイン本があるからどうか、とのことであった。 正直言えば、普段からお世話になっている方であったから、二つ返事で、手持ちだという7冊全部いただいたが、全く存じ上げなかった。 ところが、サイン本が今日到着して、まだ箱も開けぬうちから電話が鳴って、「KAGAYAさんの写真集のサイン本はそちらに置いてありますか」という内容の電話。驚きと自省。おそらく出版社のHPに取り扱いの告知をしてくれたせいだろうけれど、なんというレスオンスの早さ。驚き桃の木山椒の木だ。 さて、そのKAGAYAさん。1968年生まれの男性イラストレーター。今回の写真集を含めて、映像全般にやってらっしゃるらしい。本名は加賀谷穣(ゆたかと読むんだ)天空にこだわり抜いて、2006年には「銀河鉄道の夜」なんていう映画も公開されているらしい。Twitterもやられていて、フォロワーかなりいるらしい。幻想的な天体写真。独特の世界観だ。お電話いただいたのも若い女性だったけど、若い女性のファンが多いのかもしれない、実にロマンティックな写真集だ。

藤井聡太のこと 20200624

中学生の天才棋士としてプロデビューをした時のマスコミの騒ぎ方も凄かったけれど、それは珍しさに飛びついただけのお祭り騒ぎであった面も否めない。その後はこの手の騒ぎの常であるが、すっかり静かになり、たまに対局などが新聞やTVで取り上げられる程度であった。ところがここの所、棋聖戦の挑戦権を手に入れ、現棋聖の渡辺さんを初戦で破ると、マスコミや世間の注目はいきなりヒートアップしてきた。彼とて大きな舞台では、顔には出さずとも緊張もするのだろうが、あの飄々としたポーカーフェイスが相手に与えるプレッシャーもかなりなものかもしれない。などと考えること自体が私たち凡人の頭だからであって、彼を含めた一流のプロ棋士たちは常識を超えた集中力で、そういった緊張感すら知らないのかもしれない。 さて、17歳の天才棋士は、現在、棋聖戦に加えて王位戦の挑戦権も手に入れ、竜王戦でも挑戦者決定戦にチャレンジ中である。彼が天才であることは間違い無いが、桟敷席の我々としては、彼が「早熟の天才」ではなくて、ますます成長し、稀代の天才として、今まで誰もなしえなかった記録と記憶に到達してくれることを願う。将棋についてはズブの素人である私をここまで引き付けてくれる彼だからこそ、多くの人の期待と注目を集めつつ、バケモノでありながら「無事これ名馬」でもあってほしいと願うばかりだ。

辰巳と深川 20200624

いやあ、知らなかった。江戸時代に深川地区の事を「辰巳」と呼んでいたこと。もちろん地名として聞いたことはあったが、具体的に地図に落とし込めたのは今回調べたお陰。現在の門前仲町なのだ。今でも「辰巳芸者」なんていうのは耳にしたり目にしたり。実意情緒を含んだ地名だが、元々は源氏の皇居から辰巳の方向にあったからついた地名らしい。東京に住んでいる人でも、「常識」と胸を張れない人もいると思うのだが、どうだろうか。 (追記) Twitterで教えていただいたのですが、京都の場合は「辰巳」といえば、「宇治」のことらしい。これも京都から見て辰巳の方向ということだろうか。なんとも興味深い。そう言えば、ここには「御所」があったな。やんごとなき方が眺め辰巳の方向ということだな、これは(笑)

VHSビデオ 20200623

配信やストリーミングで映像を楽しむ人が増えた近頃では、DVDやBlu-rayのようなパッケージのメディアで鑑賞することすら非日常になろうとしているかもしれない。そしてそのもう一つ前のメディアであるVHSビデオなどは、今やゴミ扱いされている感がある。ただ、ビデオデッキを引っ張り出して観てみた感想を述べれば、思っていたほど酷くはなかった。所詮アナログ時代のカメラで撮影した映像であることを前提とすればこんなもんである。むしろ驚いたのは、湿気の多い劣悪な環境で、保管されていたというより、忘れ去られ、ほったらかしにされていたVHSテープたちがちゃんとそれなりに観ることができる代物であった点だ。そんなに劣化もしていないように思える。そう言えば、映画の古いフィルムも長い年月を経ても映写機さえあればちゃんと写るんだものなあ。VHSビデオというのはシネマフィルムの遺伝子を受け継いでるのだ。機械の方はナイーブでもテープのほうは切れても継ぎ修理する事さえできるのだ。 そうは言っても、いまどきディスクの何倍も嵩張るこのVHSカセットを現役で使っている人は稀には違いない。ましてや、これを今頃収集する奴なんか、よほどの物好きに違いない。そんなことを思っているうちに、実は私がその泥沼の中に足を突っ込んでしまったのである。 そもそも最初は「漢詩紀行」なるNHKのビデオ全集をメルカリで安価に入手できたことから始まった。送料込みの3,000円で全16巻セットを入手したところから始まった。もはや定価と比べるのも失礼だが、新品同様のこのビデオが1本200円弱で手に入るのだ。こういうレッスン物はVHSでも全然問題ない。ここから我が物欲、コレクション欲が湧いてきてしまった。同じNHKの「新日本紀行」も全30巻、他のビデオ全集を加えて48本送料込みで3,000円である。旅行もの、名所案内もの等など、とにかく驚くほど安価で手に入るのが最大の魅力だ。これ以上増えるとスペース的に限界は感じるが、いつか観ようと蓄めてきたDVDやBlu-rayと共に老後の私の毎日を豊かにしてくれそうである。難点は今手持ちのビデオデッキ2台が壊れてしまう懸念と、要らなくなっても引き取り手が居なさそうな事ぐらいだなあ。

川島正次郎(かわしましょうじろう)20200623

1890−1970  衆議院議員として14回も当選しているすごい政治家なんだな。 千葉県政界の重鎮と書かれている。 NHK大河ドラマの「いだてん」にも登場した人物らしい。 今月月末の発売で、青志社から『田中角栄を総理にした男 軍師・川島正二郎の野望』(栗原 直樹)という本が出版される。 一時、田中角栄関連の本名売れたけれど、今回はどうだろうか? 個人的には結構興味深い。

クリーニングテープ 20200623

もう「テープ」というだけでアナログの香りがぷんぷんするけれど、ちょっと前までは、クリーニングテープなる代物、気慰み程度の物だろうと思っていた。必要のないところで使用していたせいか、そんなに効果を実感する経験もなかったのである。 ところが、先日、つかわなくなって10年以上にもなるVHSビデオデッキを押し入れの奥から引っ張り出し、どうしても観たかったテープを入れてみるも、音は聞こえるけれど画像は砂嵐よろしくでちっとも映らない。そこで、一緒に出て来たクリーニングテープの出番。このクリーニングテープ、実は切れていたのだけれど、分解して切れたところを裏から適当にテープで止めると、見事復活。そのテープでデッキのクリーニングを繰り返しているうちに、なんと見事映像が出て来るではありませんか。しかも繰り返す程に映像が綺麗になってくる。まざまざとクリーニングテープの力を見せつけられた瞬間でした。実際には、こうなる前に定期的なクリーニングが必要なんでしょうね。何事も日常のメンテナンスは大事という一説でした。

バレットジャーナル 20200623

耳慣れない言葉を見つけたら、まず調べてる。 【バレットジャーナル】とはなんぞや。 「自分でノートとペンを用意して好きなようにカレンダーやタスクを書き込んでいく手帖術」のことらしい。ポイントは自分のお気に入りのノートとペンを使用することらしい。 カレンダーを自分で作成するなんて、私にはちょっと面倒で長続きしそうもないからやめておくけれど、自分の好きなスタンプ、マスキングテープ、シール、カラーペンなどで手帖をデコレーションしていく最近の流行からすれば、そうなのかとも思う。究極のアナログ情報術だな。