書店未来夜話 20200706
書店の未来
書店勤めを約35年。必然的にこの場所が日常である。それは自分の店にいるときだけではなく、ほかの本屋さんに入っても同じような感覚を覚える。視覚的な風景、匂い、お客様の話し声・・・一見違うようであっても、やはり相似的な空間なのである。
似たようなスペースに図書館がある。品揃えから言うと、超大型書店を除けば、公立図書館の方が収容書籍点数は多いはずである。ところが、空気が違うのであり、においが違うのである。それに陳列。整然と並んでいる書籍は特に私に何かを語りかけては来ない。そもそもが図書館は資料を参照する場所であり、静かに勉強をする場所であるはずであった。その図書館が本を貸し出すことを競い合うようになったのはいつの頃からだろう。本の検索に関わるサービスはよりスピーディで、レベルの高いものであって欲しいけれど、貸出冊数を競う今の図書館には違和感を覚えてしょうがない。そもそも書店の文化的価値を認めない日本のお役人方が送り込んだ「書店仕置人」に思えてしょうがない。口先では書店と図書館の共存などと言うけれど、本当にそう考えるならば、全国の図書館が国立国会図書館のように毅然と重要資料を揃えた図書館を目指すべきである。娯楽を目的とする「読書」であるならば、ちゃんと購入して対価を支払うべきである。お楽しみ事は映画だって、コンサートだって、食事だって、デートだって、旅行だって、そしてネットサーフィンだって、お金がかかるものなのである。 対価を支払うからより熱中し楽しいとも言える。
もちろん、書店および出版業界の斜陽を図書館のせいだけにするつもりはない。外部要因だけを考えても、インターネットの普及および通信端末の進化、Amazonの登場、電子書籍の登場など・・・ほかにもあるかもしれないが、言われるほど読書離れが進んでいるとは思わない。それよりネットだろうなあ。特にネット社会の進展はお金と時間の両方を奪っていく。iPhoneの購入に十数万円ぽんと出す人が、700円の文庫を高いと言って図書館で借りる。そんな事をあたり前だと思ってしまう。
もちろん内部要因がたくさんあることは承知している。だけど、斜陽産業というのはそういうもので、業界構造を変える能力を持つ人がどんどん流出していく。残るのは浮き輪を求めて漂う漂流民ばかりになってくる。たまには奇特な人や変人もいて、ごくまれにすてきな書店文化を垣間見せてくれるが、そういう人たちはもう絶滅危惧種であって、彼ら彼女たちの後継はますます心許ない。当然ながら、賃金には夢がない。それは作家さんも同様らしく、アルバイトで生計を立てながら、せっせと新作に筆を走らせる結構名前のしれた先生も結構いらっしゃる。
書店勤めを約35年。必然的にこの場所が日常である。それは自分の店にいるときだけではなく、ほかの本屋さんに入っても同じような感覚を覚える。視覚的な風景、匂い、お客様の話し声・・・一見違うようであっても、やはり相似的な空間なのである。
似たようなスペースに図書館がある。品揃えから言うと、超大型書店を除けば、公立図書館の方が収容書籍点数は多いはずである。ところが、空気が違うのであり、においが違うのである。それに陳列。整然と並んでいる書籍は特に私に何かを語りかけては来ない。そもそもが図書館は資料を参照する場所であり、静かに勉強をする場所であるはずであった。その図書館が本を貸し出すことを競い合うようになったのはいつの頃からだろう。本の検索に関わるサービスはよりスピーディで、レベルの高いものであって欲しいけれど、貸出冊数を競う今の図書館には違和感を覚えてしょうがない。そもそも書店の文化的価値を認めない日本のお役人方が送り込んだ「書店仕置人」に思えてしょうがない。口先では書店と図書館の共存などと言うけれど、本当にそう考えるならば、全国の図書館が国立国会図書館のように毅然と重要資料を揃えた図書館を目指すべきである。娯楽を目的とする「読書」であるならば、ちゃんと購入して対価を支払うべきである。お楽しみ事は映画だって、コンサートだって、食事だって、デートだって、旅行だって、そしてネットサーフィンだって、お金がかかるものなのである。 対価を支払うからより熱中し楽しいとも言える。
もちろん、書店および出版業界の斜陽を図書館のせいだけにするつもりはない。外部要因だけを考えても、インターネットの普及および通信端末の進化、Amazonの登場、電子書籍の登場など・・・ほかにもあるかもしれないが、言われるほど読書離れが進んでいるとは思わない。それよりネットだろうなあ。特にネット社会の進展はお金と時間の両方を奪っていく。iPhoneの購入に十数万円ぽんと出す人が、700円の文庫を高いと言って図書館で借りる。そんな事をあたり前だと思ってしまう。
もちろん内部要因がたくさんあることは承知している。だけど、斜陽産業というのはそういうもので、業界構造を変える能力を持つ人がどんどん流出していく。残るのは浮き輪を求めて漂う漂流民ばかりになってくる。たまには奇特な人や変人もいて、ごくまれにすてきな書店文化を垣間見せてくれるが、そういう人たちはもう絶滅危惧種であって、彼ら彼女たちの後継はますます心許ない。当然ながら、賃金には夢がない。それは作家さんも同様らしく、アルバイトで生計を立てながら、せっせと新作に筆を走らせる結構名前のしれた先生も結構いらっしゃる。
ここまで書いてくると、湿っぽく暗くなってきそうだけど、実は私は書店の復権を信じている一人でもある。条件は何か。店頭でどんな本でも作れてしまう時代の到来である。プリントアウトまでならいまでも可能だろうけれど、製品として魅力的な書籍、雑誌の製造を店頭で行ってしまうことである。幸い映像などに比べればデータ容量の少ないコンテンツ。そして、基本は紙とインクで出来ているプロダクツだ。スーパーであれば、野菜や調味料をその場で作り出すことは魔法の力を借りなければ、AIロボットが出現した現代の科学技術でも無理だろうけれど、書店の場合はまんざら夢物語と片付けなくても良さそうである。もちろん店頭陳列分はロスも発生するだろうが、店頭に陳列する商品をサンプルだと割り切ってしまえば、後は作りたての商品をお客様に提供することが出来る。著作権の絡みはあろうが、古典作品などパブリックドメインの作品であれば、「世界に一つだけの本」を作って渡すことだって出来る。ギフトユースにもってこいだろう。
そんな時代が到来すれば、Amazonだって書店には怖い存在ではなくなるかもしれない。輸送費もかからないし、基本返品ロスも万引ロスもないから、もっと安くできる可能性だってあるかもしれない。ただし、人件費まで削ってロボットが販売員というのはいやだなあ。人が書いた本を人に薦めてもらって買いたいし、その面白さや感動を人と分かち合いたいと思う。
そんなことを考えながら私の夜は更けていくのである。
そんなことを考えながら私の夜は更けていくのである。
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