ホロコーストの記憶 20200725
ホロコーストの記憶
4連休の最中、しかも片隅にひっそりと載っただけの記事だから、目にした人さえ多くないかもしれない。けれど、私にとってはこの小さな記事がかなり衝撃的だった。
ドイツで、93歳の元ナチス看守が裁判で有罪判決を受けたという記事である。ユダヤ人収容者ら約 2,500人の殺人に関与した殺人幇助罪に問われたものだ。「ドイツではホロコーストの惨劇をまだ歴史的過去にしていないのか」、という驚きである。
今までに色々な議論があるが、私自身はドイツと日本に当時の指導者の思考的な類似性を強く感じる。そしてその思考が国民全体を包む空気として存在したことも共通していると思っている。それなりの抵抗勢力があったことは歴史的にも記述されているが、それらは両国とも国家的昻揚の中で押し潰されてしまった。
その共通性とは国家としての優越意識であり、国民としての優越意識である。「国民」は「人種」と置き換えられるかもしれない。ドイツ帝国はこの思想で、ユダヤ人大虐殺を起こし、チェコやポーランドなどの東欧諸国に対する迫害行為を露わにした。大日本帝国は中国や朝鮮半島に対して迫害や虐殺事件を起こし、東南アジア諸国に対して「大東亜共和圏」なる思想を強要し、植民地化まがいの行為で侵略を行った。皮肉なことに、この二国には優越意識のが下に隠れた、近隣の歴史的な選考に対する「気後れ的嫌悪」があった。その対象がドイツの場合は「ユダヤ人」であり、日本の場合は中国であり朝鮮半島であったということだ。いわば両国の文化的基盤を築くために指導的役割をした存在である両者に対する劣等意識の隠顕であろうか。
しかしながら、そうして3/4世紀を経た今の状況はずいぶんと違っている。国民というよりは国家としての責任の感じ方が違うのであろう。日本において「戦犯」はもう存在しないし、「象徴天皇」の出現とともに「国家の責任」が「過去の歴史」へとすりかえられてしまった感がある。あたかも新しい国家へと移行して、古い帝国の犯した罪を放棄してしまったような体である。私自身も、ある意味、それが歴史的必然のように思えていた節がある。恥ずかしい話だ。対して、ドイツは東西に長い間分断されたせいで、その両地域を分けていた壁の重みを忘れていないのかもしれない。1990年のドイツ統一からまだ30年しか経過していないせいもしれないが、陽気にビールを手に喚起する国民性でありながら、本当は戦争を知らぬ世代であっても、国民が戦争を忘れていないのである。そして何よりも国家が戦争責任を放棄していないのである。そこら辺が、今回の新型コロナ禍に対するメルケル首相の毅然とした態度に、国民の全体的な対応に現れていると思うのは、考えすぎであろうか。
4連休の最中、しかも片隅にひっそりと載っただけの記事だから、目にした人さえ多くないかもしれない。けれど、私にとってはこの小さな記事がかなり衝撃的だった。
ドイツで、93歳の元ナチス看守が裁判で有罪判決を受けたという記事である。ユダヤ人収容者ら約 2,500人の殺人に関与した殺人幇助罪に問われたものだ。「ドイツではホロコーストの惨劇をまだ歴史的過去にしていないのか」、という驚きである。
今までに色々な議論があるが、私自身はドイツと日本に当時の指導者の思考的な類似性を強く感じる。そしてその思考が国民全体を包む空気として存在したことも共通していると思っている。それなりの抵抗勢力があったことは歴史的にも記述されているが、それらは両国とも国家的昻揚の中で押し潰されてしまった。
その共通性とは国家としての優越意識であり、国民としての優越意識である。「国民」は「人種」と置き換えられるかもしれない。ドイツ帝国はこの思想で、ユダヤ人大虐殺を起こし、チェコやポーランドなどの東欧諸国に対する迫害行為を露わにした。大日本帝国は中国や朝鮮半島に対して迫害や虐殺事件を起こし、東南アジア諸国に対して「大東亜共和圏」なる思想を強要し、植民地化まがいの行為で侵略を行った。皮肉なことに、この二国には優越意識のが下に隠れた、近隣の歴史的な選考に対する「気後れ的嫌悪」があった。その対象がドイツの場合は「ユダヤ人」であり、日本の場合は中国であり朝鮮半島であったということだ。いわば両国の文化的基盤を築くために指導的役割をした存在である両者に対する劣等意識の隠顕であろうか。
しかしながら、そうして3/4世紀を経た今の状況はずいぶんと違っている。国民というよりは国家としての責任の感じ方が違うのであろう。日本において「戦犯」はもう存在しないし、「象徴天皇」の出現とともに「国家の責任」が「過去の歴史」へとすりかえられてしまった感がある。あたかも新しい国家へと移行して、古い帝国の犯した罪を放棄してしまったような体である。私自身も、ある意味、それが歴史的必然のように思えていた節がある。恥ずかしい話だ。対して、ドイツは東西に長い間分断されたせいで、その両地域を分けていた壁の重みを忘れていないのかもしれない。1990年のドイツ統一からまだ30年しか経過していないせいもしれないが、陽気にビールを手に喚起する国民性でありながら、本当は戦争を知らぬ世代であっても、国民が戦争を忘れていないのである。そして何よりも国家が戦争責任を放棄していないのである。そこら辺が、今回の新型コロナ禍に対するメルケル首相の毅然とした態度に、国民の全体的な対応に現れていると思うのは、考えすぎであろうか。
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