『神戸・続神戸』(西東三鬼)と『上海』(横光利一)について
私がそう感じるだけかもしれないのだけど、『神戸・続神戸』に出てくる神戸と『上海』に出てくる上海の空気感、そこで生きた人々の雰囲気が実によく似ている気がする。もちろん時代的な背景が似ていることはあるのだけれど、どちらに出てくる登場人物たちも生きる事に必死でありながら、なんとなく人生を達観しているようにも見える。誰もが死と隣あわせている生活の中で、実に個性的に人間らしく生きているように思えてならない。街は共に国際的で日本人に固執することもなく、また日本人意識過剰のせいで縮こまることなく、自分達の感情で生きている気がする。なかなか愉快な外国人も登場して読者を愉しませてくれる。主人公たちに絡んでくる女性たちもまた魅力的なのだ。登場してくる人々は基本的に貧困であったり、何かに困っている人達である。それを優しく見守り、時には手助けする主人公たちの優しさが私をほっこりさせる。現代社会にはない、我々にとってはもうおとぎの国の物語であるからこそ、同じ世界観をそこに見るのだろうか。この無国籍的、無秩序的空間を空想する私にとっては、沢木耕太郎が描く香港やマカオも同類かもしれない。まだ末読ではあるが、芥川龍之介が遺した『上海游記』や谷崎潤一郎が綴った『上海交遊記』からも同様の空気を感じ取れるかもしれない。後日の愉しみとしよう。それらは多分、歴史の中に確実に存在したであろう、私にとっての非日常的憧憬なのだろう。私の読書のひとつの方向性でもある。
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