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山本七平のこと 20200728

山本七平のこと いま、「山本七平」の名前を聞いてぴんと来る人はずいぶん少なくなっているかもしれない。私が書店に入ってきた頃は、まだまだビッグネームだった。大正10年の生まれで、平成3年に没しているからかなり長生きをされた方だ。著書の名前には、もちろん「山本七平」の名前を使われることが多かったのだけれど、「イザヤ・ベンダサン」というペンネームをお持ちだった。『日本人とユダヤ人』という300万部を超えるベストセラーを残し、当時は覆面作家として、このペンネームを使われていたらしい。このペンネームは「いざや、便出さん」ではないかと言われ、なかなかに人を食ったネーミングであるところが愉しい。 さて、この山本七平さんは評論家、作家になる前から、「山本書店」という出版社の経営者であった。両親ともにクリスチャンで、本人も青山学院の教会で洗礼を受けている、敬虔なクリスチャンであったらしい。死後、遺骨がイスラエルでさんこつされるなど、実に徹底している。 1956年、世田谷の自宅で聖書学を中心とした出版社「山本書店」を創業している。のちに株式会社組織となり、市ヶ谷に会社は移転している。 前述の『日本人とユダヤ人』は1970年に山本書店から発売されている。 山本七平さんの死後は夫人のれい子さんが店主として遺志を引き継ぎ、閉店する2007年3月31日まで続いた。

『深夜特急』のこと 20200728

『深夜特急』のこと 若い頃から自由な旅が憧れだった。いつか自分で自由に使えるお金がそれなりに貯まったら、世界中を旅したいと思った。そのバイブルの代表的な存在が、司馬遼太郎の『街道をゆく』と沢木耕太郎の『深夜特急』だ。もっとも、『深夜特急』の第1巻が発売されたのは1986年なので、そのとき私は27歳。青春の盛りを過ぎていたのではあるが。 この2冊の旅文学は対照的だ。綿密周到に用意した旅である司馬さんの旅と、全く当てのない自由気ままな沢木さんの旅。どちらも魅力的ではあるのだけれど、何か壁にぶつかったときに思い出すのは、やはり『深夜特急』だ。現実逃避だといわれればそうだろう。そうそう、愉しい変化に富んだ日々が続くわけもない現実の中で、『深夜特急』の中で語られるトラブルや不安の描写までもが、ただただ羨ましかったものだ。ある時、まだ『深夜特急』を出版されて間もない頃、出版社の会合で沢木さんの講演を聴ける幸運に恵まれた。普段着のような姿で現れた沢木さんは何の気どれも気負いもなく、楽しそうに旅のエピソードを語っておられた。マカオのカジノでのエピソードがとても印象的で、それから十数年後沢木さんが語ったカジノを体験できた時の嬉さと満足感は今でも忘れはしない。結果は散々だったけれど(笑)いや、ある意味で『深夜特急』に対する憧れは、今もずっと続いている。会社組織の中にいれば、毎日のように不愉快で腹立たしいことには出くわすものである。大げさに言えば、そんなときに私を救い出して勇気づけてくれたのが『深夜特急』だったかもしれない。自己責任による「自由」の象徴なのだと思う。これからも当分は『深夜特急』が誘う仮想旅を続けるとするか。久しぶりに手に取った私のバイブルが手招きをしている。

進化と絶滅 20200725

進化と絶滅 人間が進化を続けると思うのは、全くの誤解であると思う。確かに身体的な変化では進化しているように見える一面もある。背が高くなり、立派な体格になった。日本人に限らず、食物と生活習慣次第で、本当に短期間でもこうなるらしい。でも、これは遺伝的な進化ではない。最近の若者の脚はすらりと長く、顔も小顔な人が多い。 また、医学の進歩のおかげで、ずいぶんと寿命は延びた。ただし生物学的にいえば、生殖能力をなくした生物が大量の食料を消費しながら生きながらえることはむしろ退化なのかもしれない。確かに人間は数量的体積的優位を基に生物界に君臨し、多くの別の生物たちをレッドデータブックへの掲載へと追い込んできた。弱肉強食の論理からいえば、これも立派な優性なのかもしれないが、一方で、新型コロナウイルスのような新参者に、生命を脅かされ、多くの人が生命を奪われ、種属そのものに生き方の変化を求められている。多くの人々がこの理不尽な自然界からのリクエストに脅威を覚え、身もだえしている。我々が誇っていたはずの最新テクノロジーも、人工知能も、先端医学も手も足も出ぬままに一年をやり過ごそうとしている。「足下をすくわれる」とは正にこのことで、私たちは人類として、この新種生命体からの攻撃をなめてかかっていた。人類最高知能を謳っていた「アメリカ合衆国」が一番の被害を受けていることを見れば明らかだろう。この超小型の得体の知れない生物よりも、人類が高等であると言えるのだろうか。強いものが頂点に立つのが生物界の掟であるとするならば、人類はすでにその王者の座を明け渡しているのかもしれない。その昔、「ミクロの決死圏」なる映画があったが、種の保存上は小さくて構造が単純である生物ほど強いと言えるかもしれない。 そんなことを考えていると、人間は心や知能を持たされているおかげで、自分たちが負けを認めるときに、ずいぶん惨めで、儚くて、悲しい生き物なのだろうと思う。お金だけは持っているのに、余命宣告をされたひとりぼっちの老人に似ている。自分ではどうすることも出来ない状況と立ち向かうのに、意識はむしろ邪魔である。生殖活動を終えると、それを運命と知り、一生を終えていく生物もあると聞く。人はそれを見て儚いと涙を流すが、実はそんなことを考える人間の方こそ、儚く悲しいのである。最終的には何の役にも立たないであろう「読書」などに...

ホロコーストの記憶 20200725

ホロコーストの記憶 4連休の最中、しかも片隅にひっそりと載っただけの記事だから、目にした人さえ多くないかもしれない。けれど、私にとってはこの小さな記事がかなり衝撃的だった。 ドイツで、93歳の元ナチス看守が裁判で有罪判決を受けたという記事である。ユダヤ人収容者ら約 2,500人の殺人に関与した殺人幇助罪に問われたものだ。「ドイツではホロコーストの惨劇をまだ歴史的過去にしていないのか」、という驚きである。 今までに色々な議論があるが、私自身はドイツと日本に当時の指導者の思考的な類似性を強く感じる。そしてその思考が国民全体を包む空気として存在したことも共通していると思っている。それなりの抵抗勢力があったことは歴史的にも記述されているが、それらは両国とも国家的昻揚の中で押し潰されてしまった。 その共通性とは国家としての優越意識であり、国民としての優越意識である。「国民」は「人種」と置き換えられるかもしれない。ドイツ帝国はこの思想で、ユダヤ人大虐殺を起こし、チェコやポーランドなどの東欧諸国に対する迫害行為を露わにした。大日本帝国は中国や朝鮮半島に対して迫害や虐殺事件を起こし、東南アジア諸国に対して「大東亜共和圏」なる思想を強要し、植民地化まがいの行為で侵略を行った。皮肉なことに、この二国には優越意識のが下に隠れた、近隣の歴史的な選考に対する「気後れ的嫌悪」があった。その対象がドイツの場合は「ユダヤ人」であり、日本の場合は中国であり朝鮮半島であったということだ。いわば両国の文化的基盤を築くために指導的役割をした存在である両者に対する劣等意識の隠顕であろうか。 しかしながら、そうして3/4世紀を経た今の状況はずいぶんと違っている。国民というよりは国家としての責任の感じ方が違うのであろう。日本において「戦犯」はもう存在しないし、「象徴天皇」の出現とともに「国家の責任」が「過去の歴史」へとすりかえられてしまった感がある。あたかも新しい国家へと移行して、古い帝国の犯した罪を放棄してしまったような体である。私自身も、ある意味、それが歴史的必然のように思えていた節がある。恥ずかしい話だ。対して、ドイツは東西に長い間分断されたせいで、その両地域を分けていた壁の重みを忘れていないのかもしれない。1990年のドイツ統一からまだ30年しか経過していないせいもしれないが、陽気にビールを手に喚起す...

ロゲットカード LOGet❗️CARD 20200707

日本全国の観光スポットを統一フォーマットでシリーズ化したコレクションカード。各スポットで設定された配布条件をクリアすることでもらうことができます。表面に各観光スポットの素敵な写真、裏面には各スポット公認の解説が書かれています。自分が旅の際に訪れた場所でもらって集めると、素晴らしいコレクションが出来そう。まだ今は52種類しかないけれど、カードがどんどん増えてくると、コレクションの旅も楽しそう。将来的には世界のスポットのカードなんかもできたら、なんていう夢も膨らむのです😊 https://loget-card.jp/list_card.aspx

書店未来夜話 20200706

書店の未来 書店勤めを約35年。必然的にこの場所が日常である。それは自分の店にいるときだけではなく、ほかの本屋さんに入っても同じような感覚を覚える。視覚的な風景、匂い、お客様の話し声・・・一見違うようであっても、やはり相似的な空間なのである。 似たようなスペースに図書館がある。品揃えから言うと、超大型書店を除けば、公立図書館の方が収容書籍点数は多いはずである。ところが、空気が違うのであり、においが違うのである。それに陳列。整然と並んでいる書籍は特に私に何かを語りかけては来ない。そもそもが図書館は資料を参照する場所であり、静かに勉強をする場所であるはずであった。その図書館が本を貸し出すことを競い合うようになったのはいつの頃からだろう。本の検索に関わるサービスはよりスピーディで、レベルの高いものであって欲しいけれど、貸出冊数を競う今の図書館には違和感を覚えてしょうがない。そもそも書店の文化的価値を認めない日本のお役人方が送り込んだ「書店仕置人」に思えてしょうがない。口先では書店と図書館の共存などと言うけれど、本当にそう考えるならば、全国の図書館が国立国会図書館のように毅然と重要資料を揃えた図書館を目指すべきである。娯楽を目的とする「読書」であるならば、ちゃんと購入して対価を支払うべきである。お楽しみ事は映画だって、コンサートだって、食事だって、デートだって、旅行だって、そしてネットサーフィンだって、お金がかかるものなのである。 対価を支払うからより熱中し楽しいとも言える。 もちろん、書店および出版業界の斜陽を図書館のせいだけにするつもりはない。外部要因だけを考えても、インターネットの普及および通信端末の進化、Amazonの登場、電子書籍の登場など・・・ほかにもあるかもしれないが、言われるほど読書離れが進んでいるとは思わない。それよりネットだろうなあ。特にネット社会の進展はお金と時間の両方を奪っていく。iPhoneの購入に十数万円ぽんと出す人が、700円の文庫を高いと言って図書館で借りる。そんな事をあたり前だと思ってしまう。  もちろん内部要因がたくさんあることは承知している。だけど、斜陽産業というのはそういうもので、業界構造を変える能力を持つ人がどんどん流出していく。残るのは浮き輪を求めて漂う漂流民ばかりになってくる。たまには奇特な人や変人もいて、ごくまれにす...

オルタナティヴ ということば 20200706

「オルタナティヴ」ということばには「二者択一」という意味と、「代替の」そこから変じた「古いものを新しいものに変える」という意味がある。なんか格好いい響きの言葉で、使いこなしたい憧れの言葉でもあるのだけれど、この二つの意味がどこかしっくりと結びつかないのである。それもそのはず、意味の中心をなす「alt」という語根には二つの語源があるらしい。「別の、ほかの」という意味の語源となったaliusと、「変える、別のものを選ぶ」という意味の語源になったalterである。これで納得。もちろん、「オルタナティヴ・ロック」は後者の意味で使われているし、意外と身近なところにその痕跡があった。新宿アルタで有名なスタジオアルタの「アルタ」。それから、PCのキーボートに使われている「Alt」キー。このキーは他のキーとの組み合わせで、「既存のものに取ってかわる新しい」働きをするからである。

東京都知事選のこと 20200706

東京都知事選 昨日の東京都知事選の結果に二つの違和感があった。勝ち負けの結果は誰もが予想をしたとおりだったから、別に驚きはしないけれど、意外な大差がついたことが一つ目。野党票を結集できなかったことはあるにせよ、小池百合子に対しての反対票として、ほかの候補がもっと得票するのではないかと思っていた。これは有権者の「あきらめ」なのか。否。ここで、二つ目の違和感が浮かび上がる。「あきらめ」にしては55%を超えた投票率。前回より下がっているとはいえ、東京都の有権者の過半数が投票に行き、その約6割の人が小池さんに投票しているという事実だ。これをどう解釈できるのか解らないが、若者が比較的多く、多種多様な人たちが集まる、日本人の坩堝・東京で、このような結果が出たことが驚きであると同時にショックだった。 私の頭の中には遠くかすんで香港の街と人々の光景が蜃気楼のように浮かんでは消えた。

組織リーダーの「嘘」について 20200706

組織リーダーの「嘘」について 意外なことかもしれないが、組織においては全員が真剣に考え始めると迷走してしまう。昔のことわざ「船頭多くして、船山に上る」の通りである。 組織の方針や実際に何をやるかと言うことは、口で言うほど単純には出来ていないことが多い。100人の人間が真剣に考えたならば、厳密に言えば100通りの方法論ができあがる。そしてそれは、有能な人材を集めた集団であればあるほど、各個人の強い信念と自負を伴い、意見がぶつかり合うことになる。結論を必要とする課題である場合、組織のトップは本当にこうした議論を望んでいるだろうか?あるいは徹底した討論の中で得られる結論を最良のものであると捉えているだろうか?ほとんどの場合は否であると思う。カリスマと称されるリーダほど、多少の議論を利用して、自分の考えを正当化しているに過ぎない。まあ、そのことが意思決定を迅速にし、組織の発展に寄与しているケースは多い。多くのリーダーは自分の意見の否定につながる行為を心地よく感じないし、公正な多数決の場に持ち込まれることを嫌うかもしれない。そして、そもそも多数決の結果が必ずしも最良の結果をもたらさないことは、多くの歴史的事件や事象が証明してくれている。 だから、「ちゃんと考えろ」という組織トップの発言は「嘘」を含んでいる。いらぬことまで真剣に考えられては困るのである。

冶金(学)について 20200704

冶金(学)について 簡単に言えば、あらゆる金属を作る技術であり、そのことに関する科学である。 その歴史は、人類として、初めて金属を作ることを試みた、紀元前5000年頃、自然銅を溶解して鋳造する簡単な技術から始まったとされる。それまで、「石を磨く」「木を削る」というように自然界にあるものの初歩的な加工で道具作りを試みただけであった人類が、全く新しい視点を手に入れた瞬間だ。 その後、紀元前4000年頃には銅化合物を木炭で燃やすことによって手に入れた「金属銅」、紀元前3000年頃には、メソポタミアで錫を木炭で加熱した溶解銅に加えることで作り出した青銅とその道具材料としての進化を見せた。そして紀元前1200年頃にはついに製鉄に成功し、武器や農耕具などの中心材料となり、生活を武器を変え、国家間の戦闘や支配関係を劇的に変えていくことになる。 一方で、アジアでの冶金はやはり中国が進んでいた。古代中国では青銅器の全盛期を経て、紀元前600年頃、製鉄が始まる。日本の製鉄の流れも、これに沿ったものであろう。 こうした冶金の技術は歴史が進むに従って、支配者にとっての重要な戦略になっていったのであろう。「錬金術」も冶金の延長上で考えることが出来るのではなかろうか。それは産業革命を機に一気に進んだ工業技術にも大きな影響を与えている。蒸気機関の発明など動力系の進化は冶金術とともに発達したものとも言えよう。 20世紀の冶金学も、物理学、化学、機械工学、電気工学、化学工学らあらゆる諸科学と深く関係しつつ、金属材料そのものと金属材料生産技術を研究対象として発展してきているのですね。プラスチックとともに産業資材の主役を担い、あらゆるものの材料として使用されている、色々な種類の金属材料は、今後もより驚異的な特性を持つ新金属を生み出すことと思います。そんな世の中を支える素材分野であるからこそ、平和利用として、世の中をより良くしていくために発展していくことを願いたい。

たたら製鉄 20200704

たたら製鉄 『街道をゆく』の1巻目に出てきた興味深いものの一つに「たたら製鉄」がある。TV番組「鉄腕DASH」でやっていたあれだ。 炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称らしい。 日本においては古代から近世にかけて発展した鉄の製造法で、近代初期以降の洋式製鉄が始められるまで、日本の国内鉄生産のほぼすべてを担っていた。「たたら」は鑪、踏鞴、多々良などと表記され、すでに「古事記」や「日本書紀」にその使用例が見られる。 さて、鉄は自然界において独立した形で存在することはほとんどなく、鉄鉱石や砂鉄などに代表される酸化鉄のように化合物として存在する。 そこから鉄を取り出すためには「還元」が必要であり、銑鉄や鋼を生み出すためには炭素と結合させなければならない。 この製法は大量の木炭が必要であることから、森林資源の豊富な日本列島でこの製法が定着し、長い間製鉄法の主役を担ってきたものと思われる。日本での起源は弥生時代に遡る。朝鮮半島からの渡来人によって原料と製法が持ち込まれ、製鉄が開始されたと考えられ、ここにも渡来朝鮮人の活躍が見られる。北九州などに製鉄遺跡が多く見つかっていることもそのせいだろう。現代の製法による製鉄が同じ地区を中心に発達したこともその流れを汲むものかもしれない。 現在でも日本刀を作る際にはこの製法が利用されることが多い。洋式製鉄はコストパフォーマンスには優れるが、良質な刃物を作り出すことには向かないからである。一時は中断したたたら製鉄であるけれど、そんな理由から、日立金属安来工場で復活を見た。「日刀保たたら」として日本刀専用の「玉鋼」」を提供し続けている。

竹富島のこと 20200704

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竹富島のこと 『街道をゆく』というDVDがあって、かつて所有していたものを少しお金に困って手放した。そのDVDを最近取り戻した(中古だけど、買い直したのだ)今日、早速、その一巻目を視聴。その冒頭部分で出てきた「竹富島」が気になった。 石垣島の観音崎から南西へ約4キロ。沖縄の中でもとびきりの「楽園」である。 面積は5.42平方キロメートル、最高海抜地点でも33.1メートルという低平で小さなこの島は海沿いに海岸砂丘が広がり、島の周囲には珊瑚礁が点在する。島では伝統文化を守るために島ぐるみで取り組み、伝承や信仰なども大切にしながらよく残している。町並みもよく保存され、石垣とフクギに囲まれた赤瓦の民家、珊瑚の砂を敷いた道路など昔ながらの集落景観をとどめ一部は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。島全体が多くの遺跡群で覆われ、現代から遠い過去にタイムスリップをしたような島である。 この島にある古い村には沖縄本島や久米島、薩南諸島などから、いにしえの昔に人々が渡り開拓されたと考えられている。かつてはこの小さな島に「蔵元」が置かれ、造船も八重山では最も早く行われたらしい(のちに蔵元も造船も石垣島へ移された) ただ、この島は水には苦労をした。低平な島であり、河川や湖沼もないために水源には恵まれず、井戸が重要な生活用の水源であった(1976年には石垣島から海底送水が始まった) 土質が水田耕作に適さず、島民は古くから海を渡って、西表島、石垣島へ渡って稲作を行っていた。 現在は北海岸の竹富港と石垣港の間が定期航路でつながれ、石垣空港経由で竹富島へ渡ることが出来る。一時期、人口は減り続けていたが、直近では多少増加傾向で、令和2年5月末の人口は356人。平均年齢は47.5歳と思ったよりも若い。主な産業は、もちろん観光である。時間を忘れて、こんな島でしばらく過ごしたいと思う。お気に入りの本をバッグに入るだけ詰め込んで出かけたい。食べて、昼間っから泡盛を引っかけて、風の吹き抜ける古民家の縁側で横になりながら本を読む。疲れたら、少し眠る。時間を忘れて、そんな一日を飽きるまで繰り返したいなあ。